一錐、二鉋、三釿。どう読むだろうか。一キリ、二カンナ、三チョウナと読む。チョウナは手斧のことをいう。この順に数奇屋大工は道具をものにしていくという教えやコツをあらわした言葉だ。……道具は手につたわる重さによって出来がちがうというのだ。……しかしカンナひとつにも多様な刃が工夫されていて、いまは写真に並んでいるような台カンナばかりが知られているが、たとえば槍カンナと棹カンナではまったく別物のようなのだ。それを大工は鮮やかに使いこなしていったのだ。
そこに業物(わざもの)が生まれる。名人・達人・鉄人がこよなく偏愛した道具たちである。業物は刀剣も含んだ。そして、そのようにすぐれた道具をもってすぐれた業(わざ)を発揚することを「才能」とか「能力」と言った。「才」とは木材や石才に宿っている力のことを言い、それを引き出す技や業が「能」だったのである。……つまり才能とか能力とかは、アタマやカラダや知能にそなわっているものではなく、素材や道具にそなわっているものを引き出せる仕業のことだったのである。大工道具たちにはその能力がギラリと光っている。
松岡正剛(年号不明)「百辞百物百景——コンセプト・ジャパン100 022 能力」『週刊ポスト』小学館