2017年4月13日木曜日

芳子のシューソカリ:「私であること」の苦悩に対する薬

学生たちによく言うのですが、近代小説を読むと主人公たちが「頭痛がする」とよく言っている。漱石だってずっと「頭が痛い」と言っているだろうと。なんで頭が痛いのかというと要は「私である」ことに悩んでいるからです。先ほどの『蒲団』のヒロイン、芳子なども「神経過敏で、頭脳が痛くって仕方がない時」に飲む「シューソカリ」という薬を持っています。頭痛薬が大量に売られるようになったのはあの時期ですね。荒俣さんのお弟子さんが、そんな研究をしていたはずです。つまり、頭痛薬を飲むと「私であること」の問いがおさまってしまう人もいて、文学を読まなくてはおさまらない人間もいて、しかし「文学」を読んだりだらには書かなければおさまらない人間たちもいた。いってしまえば文学はシューソカリ、今で言ったらソラナックスやディプロメールといった向精神薬みたいなものです。そういった文学の役割をどの小説が果たしていくのか、そこが問題なのだと思います。

  大塚英志(2004)『物語消滅論——キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」』p.163-164, 角川書店