2016年9月18日日曜日

仏教(宗教)の定義:限定されない、有機的な精神運動の源

どの宗教でも、長い発展の歴史をもった現存の宗教を批判するたいていの人々が犯す誤りは、それを、そのまま受け入れるべき完成した体系と考えることである。ところが実際は、有機的かつ精神的なものはいずれも——われわれは、宗教をこのようなものと考えるのだが——定規やコンパスで紙の上に描けるような、幾何学的輪郭を持たない。それは、客観的に限定されることを拒否する。なぜならば、これは、その精神の成長に制限を設けることになるからである。かくて、仏教とは何かを知ることは、仏教の生命の中に分け入って、それが歴史の中で客観的に自己を展開するのを内側から理解することであるといえよう。ゆえに仏教の定義は、仏教と呼ばれる精神運動を押し進める生命力の定義でなければならない。……一言でいえば、仏教の生命、ならびに精神を作り上げたものは、仏陀その人の内的生命、ならびに精神にほかならない。仏教は、その教祖の最深最奥の意識のまわりに築かれた建築物である。様式や外部建築の材料は、歴史の進行につれて変るかもしれない。だが、建築物全体を支える仏陀たること(buddhahood)の内的意味は、変ることなくつねに生き続ける。

 鈴木大拙(1987)『禅』(工藤澄子訳)p.97-98, ちくま文庫.