やわらぎは生の感覚である。生命は柔らかなものに宿る。死は、こわばる、直線になる、不思議の力はもはやそこから出なくなる、見ただけのものでしかない。……
やわらぎということが、日本人全体の性格でないかと思うのである。十七条憲法の「以和為貴」の「和」は“やわらぎ”であって“わ”ではない。わというと何かその頃の政治的背景を聯想させるようなものがあるが、あるいはそれもあったかも知れぬが、仮名づけはやわらぎであってわではない。太子は仏教徒で、仏教徒の趣味はやわらぎであるから、三宝を篤敬せられる太子は自らやわらぎを第一とせられたのではなかろうか。……
女の作った仮名文学の性格はやわらぎで尽きている。漢字の硬いのに比べると比較にならぬほど柔軟性に富んでいる。日本の気候は湿気で支配されているというが、気候だけではない、日本の自然の景物は何れもそのせいで、一種の潤いと柔かさをもっている。日本人の性格はこれに養われて出来た点が多いと思う。
鈴木大拙(1997)『新編 東洋的な見方』(上田閑照編)p.232-234, 岩波文庫.
※本文では「やわらぎ」「わ」に傍点あり、読みやすさのため一部に“”を使用