2017年3月31日金曜日

宮沢賢治の理念:現状を理想化した「イーハトーヴォ」の普遍性

宮沢賢治の詩の多くが心象スケッチとよばれ、外で出会った事物のひとつひとつを機縁として心中にうかんできた印象をかきとどめるという形をとったのと同じく、人についても彼は自分の出会う人それぞれをとおしてその個性の延長線上の交錯において架空の理想郷をくみたてた。シロウトをあつめて演劇を試みるという点ではロッセリーニに似ているが、ここでくわだてられるのはネオ・リアリズムではなく、ネオ・アイディアリズムの方法である。

このようにして、自分の今いる状況を理想化するという方向は、宮沢の作品の世界では、「イーハトーヴォ」というシンボリズムに結晶する。イーハトーヴォというのは、賢治たちの時代の貧しい現実の岩手県を機縁として、その個性的なマイナスをすべてプラスにかえてつくられた理想郷の姿であり、それは理想郷であるかぎり、時間も空間もこえ、あらゆる物、動物、人種がそこに来て住むことのできるような普遍性を獲得している。

 鶴見俊輔(1999)『限界芸術論』p.61, ちくま学芸文庫

芸術について:生活の中に広くある美的経験

芸術とは、たのしい記号と言ってよいだろう。それに接することがそのままたのしい経験となるような記号が芸術なのである。もう少しむずかしく言いかえるならば、芸術とは、美的経験を直接的につくり出す記号であると言えよう。ここでさらに、美的経験とは何か、が問題になる。結論から先に言えば、美的経験とは、もっとも広くとれば、直接価値的経験(それじしんにおいて価値のある経験)とおなじひろがりをもつものと考えられる。一つの例をあげて言うと、直接価値的経験とは、労働をとおして食費をかせぐという間接価値的経験の結果えられた「食事をする」という経験である。……

それにしても、飯を食うという行為は、美的経験だろうか。……すでにデューイの私的しているように、毎日の経験の大部分は美的経験としてたかまってゆかない。このために、美的経験としてとくに高まって行く経験だけを、狭い意味での美的経験と呼ぶことにする。……美的経験として高まってゆき、まとまりをもつということは、その過程において、その経験をもつ個人の日常的な利害を忘れさせ、日常的な世界の外につれてゆき、休息をあたえる。また、経験の持主の感情が、その鑑賞しつつある対象に移されて対象の中にあるかのように感じられる。……

依然として、美的経験は、かなりひろい領域をもっている。われわれの毎日のもつ美的経験の大部分は、芸術作品とは無関係にもたれるものと言ってよい。部屋の中を見るとか、町並を見るとか、空を見るとかによって生じる美的経験のほうが、展覧会に行って純粋に芸術作品と呼ばれる絵を見ることで生じる美的経験よりも大きい部分を占める。日本の家の構造ではラジオの流行歌やドラマがひっきりなしに入ってくるから、これらの大衆芸術作品による美的経験はかなり大きい部分を占めるとしても、やはり友人や同僚の声、家族の人の話などのほうがより大きな美的経験であろう。

 鶴見俊輔(1999)『限界芸術論』p.10-13, ちくま学芸文庫

2017年3月22日水曜日

土地柄による哲学的影響

今の私は東京と京都とどっちにも執着を感じている。……飛入り者の私にとっては京都はまことに静かなところである。それに反して東京へ帰ると私は家庭の人間となり、複雑な近親関係の中に身を置くことによって計らぬ煩わしさや悩みが生じてくる。……「才能」にとっては京都の生活が願わしいが、「性格」にとっては東京の生活も欠きがたいというのが私の真実である。……

哲学者がどこに住むかということはその哲学におのずから反映される。……東京と京都。私は私の思索にあって、内容に東京の豊富さを、形式に京都の静けさを、おのずから反映させることができれば幸(さいわい)だと思う。

 九鬼周造(1991)『九鬼周造随筆集』(菅野昭正編)p.99-103, 岩波文庫

2017年3月20日月曜日

自分の態度ひとつですべてが思索の材料を提供してくれる

私はもちろん思索と読書の外に自分勝手な時の費し方もしている。しかし浪費されたかのような時間は実は間接に思索と読書とを助けていることを知っている……私は時たま芝居を見たり映画を見たりするとかなり強い感動とかなり貴重な教示とを受ける。来たためにつまらないことをしたという感じは、ほとんど一度もしたことがない。かえってもっと時々来ようと考える。二、三日気まぐれな旅をしても、一夕を酒の肴に浸っても、またと換えがたい体験をする。自分の態度ひとつですべてが思索の材料を提供してくれる。

 九鬼周造(1991)『九鬼周造随筆集(菅野昭正編)p.45, 岩波文庫

2017年3月9日木曜日

天文学史上最も美しい夜:天空を見上げた人間の想像性

直立歩行を始めた人間が空を見上げたその瞬間から、1609年12月のある夜が訪れるまで、人間はすべて大空の前で平等だった。その夜、ガリレオは天文学者として初めて天体に望遠鏡を向けた。天文学史上最も美しい夜が訪れたのだ。このガリレオの夜以前、知性に違いはあっても、夜空を見るために人が使えるのは、その人が持つ肉眼だけだった。しかしそのガリレオ以前、すなわち、望遠鏡という科学的な研究手段を手にする以前でさえ、天文学を数学に次ぐ精密科学だとした者は存在していた。一方、天空を観察して、神話を作り上げた者もいる。そういった神話は、往々にして取るに足りない伝説、昔話、民話のたぐいに成り下がってしまった。また、農業、航海、気象に関する法則を経験的に編み出した者もいる。空を見て単に夢想する歓びを引き出した者もいる。彼らはみんな天空のおかげで、想像力を豊かにし、自分の可能性をひろげた。

 ヴェルデ,ジャン=ピエール(1992)『天文不思議集』 (荒俣宏監修 , 唐牛幸子訳)p.21, 創元社.

「見立て」の観相術:天文を読み解くための古代的知的作業

人類が作成した最初のデーターベースは「天の前兆」集成だった。もちろん現在の天文学や気象学につながる先駆的な観測資料ともいえるが、それ以上にこの記録は天気予報ならぬ「森羅万象予報」の材料として途轍もない重要情報とみなされてきた。……したがって、どの文明圏でも天の前兆観測のために大規模な施設が築かれたのは当然であろう。……

本書でも強調されているように、天に前兆をみつけだす天文博士の叡知の基本は、「無秩序の事象から秩序ある法則をみちびく」ことである。……これを〈連想思索〉とでも呼ぼうか。いくつかの絶対的前提からスタートし、あとは連想ないし想像の力にまかせて関係性の連鎖をつくりだす方法である。……

しかし、われわれの世界を執拗に覆っている無秩序や偶然は、なお頑迷に解読を許さない。そこで登場する実践的な知的作業が「観相術」と呼ばれるものである。……好例が雲の形だろう。どう見てもランダムに形成される意味のない雲だが、これを見立てて、馬の形、とか、キリストの顔の形、というふうにパターン認識してしまうのだ。換言すれば、意味をもたせてしまうのだ。……

この観相的能力について、昨今では大きな関心がもたれはじめており、そもそも人間の知覚自体このような見立てによって成立していると考える方向も出てきつつある。美学面で話題となる「チャンス・イメージング(偶然に生まれる図像)」もその一例だろう。雲と同じく、元来意味もなく生じたインクの染みや自然石の形から、意味のあるイメージをさぐりあて、やれ「烏帽子岩」だの「寝姿岩」といったネーミング、またはロールシャッハ・テストなどが実践されている。これらの作業と、天の文(もん)すなわち天にあらわれた無意味な印を読み解く作業は、いうまでもなく古代的叡知の同一線上にある事例なのである。結局のところ、天文博士の権威と、かれらの奏する警告がもつ信憑性とは、すべてその連想力の精緻さ、説得性、ならびに現象との一致性に依拠するほかにないのである。

 ヴェルデ,ジャン=ピエール(1992)『天文不思議集』 (荒俣宏監修 , 唐牛幸子訳)日本語版監修者序文(p.1-4), 創元社.

2017年3月5日日曜日

ランと人類の退行:ヒエラルキー高位故の脅威

自然界にいるランは、あきらかに退行したと思われる、微細な無数の種子をまき散らすだけで満足している。……生命の歴史をたどればかならず退行的な傾向にゆきあたるし、人類も人類の文明もやはりそれをまぬがれてはいない。……

近代人と同様に、ランも、永続的な「支え」や特殊な環境がなければ、存続してはいけないだろう。だいいち、もう光合成を捨ててしまって、腐植土のうえで菌類のような生活をしているものさえいる。生物のヒエラルキーの高位に到達したランは、人間と同様に、安易につくという危険に脅かされているのだ。つまり、植物学者が「寄生的退行」と呼び、道徳家が「居候的生活」と呼んでいるような傾向だ。……

要するにランは、熱帯林や、地中海地方のガリッグや、アルプスの芝草型草原や、スカンンジナビアという、さまざまに異なる環境で生活するためにいかに適応するかという、ぼくらと同じ問題をかかえている。エネルギーの均衡と食性を問いなおす、クロロフィルの喪失のような重大な事故には、いかに対処したらよいか?いかにしたら、セックスパートナーの特殊化と貞節から受けるあきらかな恩恵を維持しながらも、いずれは致命的なものになりかねない完全な依存状態に陥らないでいられるだろうか?どうしたら、個体数を調整し、バースコントロールをして、無制限な繁殖をまぬがれることができるか?いかにしたら、ぼくらが既得権と呼んでもよいようなそれ以前の進歩をたえず疑問に付す、不幸な退行的傾向を避けることができるだろうか?ランたちは、これほどたくさんの問題に答えざるをえなかったし、これほどたくさんの挑戦に応じてこざるをえなかったのだ。

 ジャン=マリー・ペルト(1995)『恋する植物』(ベカエール直美訳)p.44-46, 工作舎.