2016年9月30日金曜日

伝説と児童:子供によって語られてきたもの

伝説は、今までかなり久しいあいだ、子供ばかりを聞き手にして話されておりました。もっとも大人もわきにいて聞いてはいるのですが、たいていはおさらいをするおりがないために、子供のようにながく記憶して、ずっと後になってからまたほかの人に話してやるほどに、熱心にはならなかったのであります。……どんな老人のおしえてくれる伝説にも、かならずある時代の児童が関係しております。そうしてもし児童が関係をしなかったら、日本の伝説はもっと早くなくなるか、またはおもしろくないものばかり多くなっていたにちがいないのであります。……書物には大人に聞かせるような話、大人が珍しがるような話が多いのでありますが、今ではこのなかからでないと、昔の児童の心持ちを、知ることはできぬようになりました。国がぜんたいにまだ年が若く、誰でも少年のごとくいきいきとした感じをもって、天地万物をながめていた時代が、かつて一度は諸君のあいだにばかり、つづいていたこともありました。書物はまわりまわってそれを今、ふたたび諸君に語ろうとしているのであります。……日本は昔から、児童が神に愛せられる国でありました。道祖(さえ)も地蔵もこの国にわたってきてから、おいおいに少年の友となったのは、まったくわれわれの国風にかぶれたのであります。子安姫神の美しく尊いもとのお力がなかったら、代々の児童が快活に成長して、集まってこの国を大きくすることもできなかったごとく、児童がたのしんで多くの伝説をおぼえていてくれなかったら、人と国土との因縁は、今よりもはるかにうすかったかもしれません。その大きな功労にくらべるときは、私のこの一冊の本はまだあまりに小さい。今に出てくる日本の伝説集はもっとおもしろく、またいつまでも忘れることのできぬような、もっとりっぱな学問の書でなければなりません。

 柳田国男(1969)『日本の伝説』 p.152-171, 角川学芸出版.

編集とは:創発的な技術、さまざまな物事の関係を見る

編集には、そもそも人間の認知活動から表現活動までが、記憶のしくみから知識の組み立てまでが、また、メディアによる編集のあれこれからコンピュータ・ネットワーク技術による編集までが、ほぼずっぽりふくまれる。……編集の裾野はそれくらい広いのだが、それを一言でいうのなら「コミュニケーションの充実と拡張に関する方法」というものだ。……ただし、編集術は整理術ではない。情報を創発するための技術なのである。創発とは、その場面におよぶと巧まずして出てくるクリエイティビティのようなものをいう。あらかじめ準備しておく編集も大事だが、その場に臨んでますます発揮できる編集力、それが私がいちばん重視する創発的な技術というものだ。……こんなことを書くと結論めくが、編集でいちばん大事なことは、さまざまな事実や事態や現象を別々に放っておかないで、それらの「あいだ」にひそむ関係を発見することにある。そしてこれらをじっくりつなげていくことにある。

 松岡正剛(2000)『知の編集術』 p.16-37-46, 講談社.

2016年9月18日日曜日

西洋・東洋の視点:鳥的・虫的

ヨーロッパのものの見方は俯瞰的というか鳥的、東洋は虫的です。世界を上から見るか、そのものの中に入っていって世界を感じながら見るかという違いがある。キリストの磔刑(たっけい)というのは俯瞰的で、高みに向かって昇天する瞬間をあらわしたもの。立ったまま死んでゆくわけです。一方、寝釈迦というのは大地に横たわったまま涅槃に入る。釈迦は大地に横たわり、森羅万象が寄り集まる。視線が大地にある。キリストは天に向かう。虫型は触覚的な感じで、俯瞰型は世界を離れて見る客観的、科学的な知性の在り方です。その両方が日本やバリではクロスしている。(大須賀)

 杉浦康平・伏見康治・森毅・養老孟司ほか(1993)「対談◎電子時代の身体とアジア——境界線上の舞態論(大須賀勇・布施英利)」『形の文化誌[1]アジアの形を読む』p.149, 工作舎.

仏教(宗教)の定義:限定されない、有機的な精神運動の源

どの宗教でも、長い発展の歴史をもった現存の宗教を批判するたいていの人々が犯す誤りは、それを、そのまま受け入れるべき完成した体系と考えることである。ところが実際は、有機的かつ精神的なものはいずれも——われわれは、宗教をこのようなものと考えるのだが——定規やコンパスで紙の上に描けるような、幾何学的輪郭を持たない。それは、客観的に限定されることを拒否する。なぜならば、これは、その精神の成長に制限を設けることになるからである。かくて、仏教とは何かを知ることは、仏教の生命の中に分け入って、それが歴史の中で客観的に自己を展開するのを内側から理解することであるといえよう。ゆえに仏教の定義は、仏教と呼ばれる精神運動を押し進める生命力の定義でなければならない。……一言でいえば、仏教の生命、ならびに精神を作り上げたものは、仏陀その人の内的生命、ならびに精神にほかならない。仏教は、その教祖の最深最奥の意識のまわりに築かれた建築物である。様式や外部建築の材料は、歴史の進行につれて変るかもしれない。だが、建築物全体を支える仏陀たること(buddhahood)の内的意味は、変ることなくつねに生き続ける。

 鈴木大拙(1987)『禅』(工藤澄子訳)p.97-98, ちくま文庫.

インド人の仏教表現:豊かな想像力による比喩、中国との比較

そこで、概略的にいえば、中国人はまず何よりも、もっとも実際的な国民であるが、他方、インド人は、空想的でかつ高度に思弁的である。……インド人は分析に精妙で、目もくらむばかりの詩的飛翔をなす。中国人は大地生活の子である。かれらは黙々として歩む。……実際的であるとは、ある意味では、歴史的であることを意味し、時の進行を観察して時が後に残した跡を記すことである。中国人は、偉大な記録者であることを誇ってよい——インド人が時の観念を欠いているのと、よい対照である。……中国人は多くの点で偉大である。かれらの建築はまことに見事である。かれらの文学的業績は、世界の感謝を受けるに値する。しかし論理は、かれらの得意とするところではない。哲学、および想像力もまた然りである。仏教がはじめて中国に紹介された時、そのインド独特の語法と比喩とは、中国人の心を呆然とさせたに違いない。いくつもの頭や腕を持った神々を見るがよい——かれらの頭にはついぞ浮かんだことのないものであった。事実、これはインド人以外のどの国民の頭にも浮かんだことはなかった。……しかし、インド人は、きわめて斬新な方法を見出し、分析的推理を当てはめることのできない哲学的真理を、それによって解明した。かれらは、奇跡や超自然的現象によって説明を行ったのである。こうして、かれらは仏陀を一大魔術師にした。……われわれは、仏陀にこのような魔術的はなれわざを行わせた大乗仏教者たちの動機を理解しなければならない。それは、人間の知性に許された普通の方法では道理上不可能なことを、比喩によって解明することであった。

 鈴木大拙(1987)『禅』(工藤澄子訳)p.99-105, ちくま文庫.

2016年9月16日金曜日

〈知〉の本質:問う主体を含んだ知の円環運動、真の客観性

何かを知りたいという、人間の本性の作動は、知ろうとする自分自身への問いを必然的に含む。対象への真摯な探求を通じて、自らの真の姿が露呈し、それによって更なる探求が始まる。これが知ることの本質であり、これによって人は成長する。この身体によって実現される運動を我々は「魂」と呼ぶ。この作動の停止するとき、「知」は単なる情報の集積と抽出へと堕落する。記述された情報の明示的操作に、知識の客観性を求めようとする「客観主義」は、魂の弱さの表出に過ぎず、その惰弱が知を堕落させる。対象に関する情報のみを記述し、自らの存在を押し隠すことは、客観性を担保するものではなく、実のところ、自己を傍観者という安全地帯に置く卑怯に過ぎない。この堕落が「魂の植民地化」である。……「魂の脱植民地化」とは、この〈知〉の円環運動の回復にほかならない。それは、対象への問いを通じて自らを厳しく問う不断の過程であり、修養としての学問という、近代によって貶められた、人類社会の普遍的伝統の回復でもある。……そのために必要なことは、問う主体を含んで展開する、対象との応答全体の厳密な記述である。それこそが、読む者にとって有益な、真の意味での「客観的記述」ではあるまいか。

 深尾葉子・安冨歩(2012)『叢書 魂の脱植民地化』巻末「刊行のことば」, 青灯社.

2016年9月13日火曜日

禅の視点:物の内側の無分別・非対立、言語は二の次

東洋民族——その中に日本人も含めての、民族の物の見方は、いつもその物の二つに分れぬさきに、目を着けるのである。あるいは物の内側から見ると言ってもよい。この見方は欧米民族のとまったく違う。二つに分れてからは、能所の分別があり、主客の対立がある。分れぬ先には無分別があり、非対立がある。この世界では、それゆえに、言語文字を第二義として、それ以前に踏み入ることを第一とする。そのようなことが可能かと尋ねるのが、普通一般の世界である。禅の仕事は、この不可能を可能ならしむるところにある。ゆえに禅では「不立(ふりゅう)文字」と言って、対立の世界から飛び出すことを教える。しかし人間としては、飛び出しても、また舞い戻らぬと話が出来ぬので、言葉の世界に還る。還るには還るが、一遍飛び出した経験があれば、言語文字の会し方が以前とは違う。すべて禅録は、このようにして読むべきである。

 鈴木大拙(1987)『禅』(工藤澄子訳)p.10, ちくま文庫.

2016年9月12日月曜日

憑依:偽装的な他者との共感

最後に、もう一つ魂の脱植民地化に有害な精神の働きについて自らの経験から得たものを付け加えたい。それは「憑依」という概念である。ただし、ここでいう「憑依」とは、シャーマニズムのように、他者や死者、他の生命や神の精神を宿すという概念とは異なり、コミュニケーションする相手、あるいは理解しようとする他者の感情になぞらえて自己の中でシュミレートすることをいう。……しかし、この作業は、真に自らの魂を通わせて、他者との共感を達成しているのではなく、自分自身の魂に蓋をして、偽装的に他者の心の動きをなぞろうとするもので、その過程にはいくつもの危険が潜んでいる。そもそもここでいう「憑依」は魂が他の魂の動きをなぞって、わかったつもりになるのであるが、真に自由な魂は、予測不可能であり、なぞることなどできない。……一見、寛容に見える「他者理解」はこの誤った手法で行われている場合が少なくない。つまり、他者との共感や共存は、決して自分の身体を外装的自己や擬似的な他者の心の動きに譲り渡すのではなく、あくまで自分自身の魂を、自分の身体にしっかりと宿らせ、自分自身がこの身体と精神を有する主体であることをしっかりと認識した上で、はじめて可能となるのである。これについても、私自身がこれまで行ってきた他者理解の手法は、他者を自分自身の身体の上でなぞる行為を通じて、より深く他者に共感し、他者の痛みを理解しようという「過剰適応」であった。……自らの精神による自分自身の魂の長期にわたる「疎外」によって、その魂が本来宿るはずの身体は徐々に硬直化し、全身がコリや冷えによって実際に鎧をまとったようになっていた。何度か、致命的な体調不良を繰り返し、ついにこのままでは続かないということを悟って、自らの身体と精神に本格的に向き合う。その治療過程で出会ったのは、自分自身が自分自身の身体という場を得て存在している、ということへの認識を持つこと(フルフォード 1996、訳書 1997)、そして、他者の心の動きに過剰に憑依したり、自己の行動や判断を他者の反応に委ねることは、自分自身の魂の尊厳の放棄であり、自らの身体と魂を傷つける行為である、と認識することであった。私が通ったクリニックの精神科医は私の治療期間の約一年半、ほとんど何もコメントを挟まなかったが、唯一、「あなたはあなた。それ以上でもそれ以下でもない。できることはできるし、できないことはできない。他人の気持ちを考えてもその人は本当にそう思っているかどうかわからないのでやってもしょうがない」というメッセージを送り続けた。

 深尾葉子(2012)『魂の脱植民地化とは何か』(叢書 魂の脱植民地化 1) p.53-55, 青灯社.

蔵書リスト——文学(詩集・その他)

・『稲垣足穂さん』松岡正剛(1979)工作舎

蔵書リスト——文学(小説・短編集)

・『新編 風の又三郎』宮沢賢治(1989)新潮文庫

蔵書リスト——装幀・製本

・『古典籍の装幀と造本』吉野敏武(2006)印刷学会出版部
・『装幀列伝 本を設計する仕事人たち』臼田捷治(2004)平凡社

2016年9月11日日曜日

蔵書リスト——芸術・デザイン

・『文藝別冊 萩尾望都〜少女マンガ界の偉大なる母』西口徹・穴沢優子編(2010)河出書房新社

蔵書リスト——事典・図鑑

・『星座の事典』沼澤茂美・脇屋奈々代(2016)ナツメ社

蔵書リスト——自然・科学全般

・『宙の名前』林完次(1999)角川書店

蔵書リスト——生物学

・『偶然と必然』J,L,モノー・渡辺格・村上光彦共訳(1972)みすず書房

蔵書リスト——物理学(天文・宇宙)

・『天文学への招待』岡村定矩編(2001)朝倉書店
・『星空案内人になろう!〜夜空が教室。やさしい天文学入門』柴田恭平ほか(2007)技術評論社
・『星座の事典』沼澤茂美・脇屋奈々代(2016)ナツメ社
・『天文不思議集』ヴェルデ,ジャン=ピエール , 荒俣宏監修 , 唐牛幸子訳(1992)創元社
・『宇宙の起源』チン,ズアン,トゥアン , 佐藤勝彦監修 , 南條郁子訳(1995)創元社
・『タオ自然学』カプラ,フリッチョフ , 吉福伸逸・田中三彦・島田裕巳・中山直子訳(1979)工作舎

蔵書リスト——文化人類学・民俗学

・『形の文化誌1 アジアの形を読む』杉浦康平・伏見康治・森毅・養老孟司ほか(1993)工作舎
・『日本の伝説』柳田国男(1969)角川ソフィア文庫

蔵書リスト——哲学

・『思考と論理』大森荘蔵(2015)ちくま学芸文庫
・『タオ自然学』カプラ,フリッチョフ , 吉福伸逸・田中三彦・島田裕巳・中山直子訳(1979)工作舎
・『ひとを〈嫌う〉ということ』中島義道(2000)角川書店
・『人生、しょせん気晴らし』中島義道(2009)文藝春秋

蔵書リスト——宗教

・『禅』鈴木大拙・工藤澄子訳(1987)ちくま文庫

蔵書リスト——思考・啓発・実用

・『魂の脱植民地化とは何か(叢書 魂の脱植民地化1)』深尾葉子(2012)青灯社
・『枠組み外しの旅——「個性化」が変える福祉社会(叢書 魂の脱植民地化2)』竹端寛(2012)青灯社
・『知の編集術』松岡正剛(2000)講談社現代新書
・『共読する方法の学校 インタースコア』松岡正剛&イシス編集学校(2015)春愁社
・『眠りながら成功する』マーフィー,ジョセフ , 大島淳一訳(1968)産業能率大学出版部
・『眠りながら願いを叶える!マーフィーの成功法則 CDブック』渡部昇一(2011)マキノ出版
・『こうして、思考は現実になる』グラウト,パム , 桜田直美訳(2014)サンマーク出版
・『編集学——つなげる思考・発見の技法』紫牟田伸子 , 早川克美編(2014)藝術学舎

2016年9月10日土曜日