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2017年4月13日木曜日

シンローグ・ポリローグ的創作:固有の作者の不在

ところが情報論的な世界においては「固有の作者」は成立しにくい。確かに辿っていけば誰がインターネットを作ったのかとか、LINUXのOSは誰が作ったのかとかいった「起源」があるにしても、進化の仕方そのものは一人の神によって管理されているわけではありません。……

こういう創作のあり方を川田順造はかつて「シンローグ」及び「ポリローグ」という概念で説明しました(川田順造「口頭伝承論」(一)『社会史研究』2/日本エディタースクール出版部)。作者が一人で語る「モノローグ」、受け手と対話しながら語る「ディアローグ」に対して「シンローグ」「ポリローグ」では固有の作者はもういません。「シンローグ」とは昔話が人々が集まる座の中で、そこにいる一人一人の即興の語りの相互作用の中で昔話が語られる、というものです。しかし「シンローグ」は座に居あわせた互いに顔見知りの人間たちが彼らが共有している昔話を「再現」するのに対して、「ポリローグ」は、街中や広場において、それぞれが勝手に発話している喧噪状態を言うのです。しかし、その喧噪は無秩序ですが、そこに不定型でゆるやかな一つの物語がやがて生成する可能性もあるのです。かつて川田のこの議論を読んでもぼくはピンときませんでしたが、LINUXのことを知ると、とてもよくわかります。LINUXは「シンローグ」及び「ポリローグ」の水準の「創作」なのです。

 大塚英志(2004)『物語消滅論——キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」』p.150-151, 角川書店

2016年9月30日金曜日

伝説と児童:子供によって語られてきたもの

伝説は、今までかなり久しいあいだ、子供ばかりを聞き手にして話されておりました。もっとも大人もわきにいて聞いてはいるのですが、たいていはおさらいをするおりがないために、子供のようにながく記憶して、ずっと後になってからまたほかの人に話してやるほどに、熱心にはならなかったのであります。……どんな老人のおしえてくれる伝説にも、かならずある時代の児童が関係しております。そうしてもし児童が関係をしなかったら、日本の伝説はもっと早くなくなるか、またはおもしろくないものばかり多くなっていたにちがいないのであります。……書物には大人に聞かせるような話、大人が珍しがるような話が多いのでありますが、今ではこのなかからでないと、昔の児童の心持ちを、知ることはできぬようになりました。国がぜんたいにまだ年が若く、誰でも少年のごとくいきいきとした感じをもって、天地万物をながめていた時代が、かつて一度は諸君のあいだにばかり、つづいていたこともありました。書物はまわりまわってそれを今、ふたたび諸君に語ろうとしているのであります。……日本は昔から、児童が神に愛せられる国でありました。道祖(さえ)も地蔵もこの国にわたってきてから、おいおいに少年の友となったのは、まったくわれわれの国風にかぶれたのであります。子安姫神の美しく尊いもとのお力がなかったら、代々の児童が快活に成長して、集まってこの国を大きくすることもできなかったごとく、児童がたのしんで多くの伝説をおぼえていてくれなかったら、人と国土との因縁は、今よりもはるかにうすかったかもしれません。その大きな功労にくらべるときは、私のこの一冊の本はまだあまりに小さい。今に出てくる日本の伝説集はもっとおもしろく、またいつまでも忘れることのできぬような、もっとりっぱな学問の書でなければなりません。

 柳田国男(1969)『日本の伝説』 p.152-171, 角川学芸出版.