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2018年1月4日木曜日

数学・天文学者の芸術性:人間的不幸と「天体の諧音」

天文学的一群は、世俗的事柄とは没交渉で、だからこそ、非人間的な題目の上にも没頭出来るというものです。その点、天文学者はどこか芸術家と共通しています。二十世紀最大の数学者とも云われているヒルベルトは、ある時、人から「彼はどうして数学者にならずに、詩人になってしまったのでしょうか」と訊ねられて、「たぶん数学者になるには想像力が欠けていたのでしょう」と答えたと云います。……

凡そ現世的な事柄に対して、常に不幸な、且つきわめて贅沢な関係に置かれているのでなければ、何人も、ある対象を一般人とは全く別様に眺めるなどいうことは出来ません。ましてそれを美的に、抽象的に、それともアイロニカリーに表現するなんて思いもよらない話でしょう。この作業に携わるための資格としては、人間的に意味における貧しさと寂寥、一般現実性への失格、迎合的な自己再編成への断念等々が要請されます。こうして自ら悲惨でないための手段は、さしあたり芸術に没頭することです。しかし、現実としての芸術の営みは、その長所よりもむしろ欠点の方が目立ち易い。これに我慢が出来なくて彼らは、敢て自ら選んだ「人なき道」にあっても、詩歌にはたよらないで、数学的記号を採用したのだと考えられます。……天体を相手にするのは、各自の選択及び決意性にもとづくことであり、これによって彼は、天文学以外の諸可能性を排除して、あえて自身を宿命の下に置きます。日常性に対して虚無的にあるほど人は童話の天文学者になりがちです。シバの女王から去ったバルタザールが櫓(やぐら)にこもって、星の研究に耽るではありませんか!でも彼は、以後では、酒盃など手にしなかったことでしょう。……

モーツァルトは、作曲のための条件をゲーテから質問されて、「程良いごちそうの夕食後の散策」を挙げています。Z項で有名な木村栄博士は、晩酌と宝生流の謡曲を愉しんでおられたと聞いています。天文学には、このように何か無政府的性格があります。神経質でもいい、やりッ放しでもいい。只欠くことの出来ないのは根気でしょう。……

僕はある時、天文年鑑を披いていて、各国の彗星発見者が申し合わしたように夭折していることを知って、不思議な気持に襲われました。……これらは一体何事でしょう。初めて望遠鏡を天体に向けたガリレオの晩年の失明と合わせて、すべてこれらは、許されざる界域を敢て窺ったがための懲罰でしょうか?僕は次のようにみたいのです。天文学者のある者には、常人が夢にも知らない遼遠な消息に触れることがあるのだと。ーーそういうわけだから、もしも彼らの生涯が何かオッドな、不幸な、孤立したものだと考える者がいたとすれば、それは飛んでもないことだ。天文学者らがそれを意識していたかどうかは別として、ともかくある恵まれた短時間中にあっては、未来的な、言説に絶した或者への凝視のために、彼らの心境は澄んで、悠々たるものがあったのでなければならない。「それは偉い学者か哲人の耳にしか聞えない」とピタゴラス派が言っている天体の諧音を、彼らは聴いたのです。

 稲垣足穂(1979)『僕の“ユリーカ”』p.19-41, 第三文明社.

2017年3月9日木曜日

天文学史上最も美しい夜:天空を見上げた人間の想像性

直立歩行を始めた人間が空を見上げたその瞬間から、1609年12月のある夜が訪れるまで、人間はすべて大空の前で平等だった。その夜、ガリレオは天文学者として初めて天体に望遠鏡を向けた。天文学史上最も美しい夜が訪れたのだ。このガリレオの夜以前、知性に違いはあっても、夜空を見るために人が使えるのは、その人が持つ肉眼だけだった。しかしそのガリレオ以前、すなわち、望遠鏡という科学的な研究手段を手にする以前でさえ、天文学を数学に次ぐ精密科学だとした者は存在していた。一方、天空を観察して、神話を作り上げた者もいる。そういった神話は、往々にして取るに足りない伝説、昔話、民話のたぐいに成り下がってしまった。また、農業、航海、気象に関する法則を経験的に編み出した者もいる。空を見て単に夢想する歓びを引き出した者もいる。彼らはみんな天空のおかげで、想像力を豊かにし、自分の可能性をひろげた。

 ヴェルデ,ジャン=ピエール(1992)『天文不思議集』 (荒俣宏監修 , 唐牛幸子訳)p.21, 創元社.

「見立て」の観相術:天文を読み解くための古代的知的作業

人類が作成した最初のデーターベースは「天の前兆」集成だった。もちろん現在の天文学や気象学につながる先駆的な観測資料ともいえるが、それ以上にこの記録は天気予報ならぬ「森羅万象予報」の材料として途轍もない重要情報とみなされてきた。……したがって、どの文明圏でも天の前兆観測のために大規模な施設が築かれたのは当然であろう。……

本書でも強調されているように、天に前兆をみつけだす天文博士の叡知の基本は、「無秩序の事象から秩序ある法則をみちびく」ことである。……これを〈連想思索〉とでも呼ぼうか。いくつかの絶対的前提からスタートし、あとは連想ないし想像の力にまかせて関係性の連鎖をつくりだす方法である。……

しかし、われわれの世界を執拗に覆っている無秩序や偶然は、なお頑迷に解読を許さない。そこで登場する実践的な知的作業が「観相術」と呼ばれるものである。……好例が雲の形だろう。どう見てもランダムに形成される意味のない雲だが、これを見立てて、馬の形、とか、キリストの顔の形、というふうにパターン認識してしまうのだ。換言すれば、意味をもたせてしまうのだ。……

この観相的能力について、昨今では大きな関心がもたれはじめており、そもそも人間の知覚自体このような見立てによって成立していると考える方向も出てきつつある。美学面で話題となる「チャンス・イメージング(偶然に生まれる図像)」もその一例だろう。雲と同じく、元来意味もなく生じたインクの染みや自然石の形から、意味のあるイメージをさぐりあて、やれ「烏帽子岩」だの「寝姿岩」といったネーミング、またはロールシャッハ・テストなどが実践されている。これらの作業と、天の文(もん)すなわち天にあらわれた無意味な印を読み解く作業は、いうまでもなく古代的叡知の同一線上にある事例なのである。結局のところ、天文博士の権威と、かれらの奏する警告がもつ信憑性とは、すべてその連想力の精緻さ、説得性、ならびに現象との一致性に依拠するほかにないのである。

 ヴェルデ,ジャン=ピエール(1992)『天文不思議集』 (荒俣宏監修 , 唐牛幸子訳)日本語版監修者序文(p.1-4), 創元社.